2012年8月15日「あるキング」を読みました。
感想 <あるキング>
「あるキング」の単行本が出たとき、今までの伊坂さんの作風とはガラリと変わったものだと聞いた。
そのせいか、文庫本になるまでの約2年間、「あるキング」の単行本を手にとる機会を失くしてしまって。
そして、ここに来て文庫化。
伊坂さんは、ずいぶんと加筆されたそうだ。
となると、加筆前の作品も読んでおけばよかった、と反省しつつも、伊坂さんが、この文庫本の方を完成作品と思っているなら、あえて、未完成のものを読むこともないか・・・と思ってみたり。
文庫本のあとがきで、伊坂さんが書いている。
単行本が出たとき、「何だこりゃ」と感じた読者が多かったようだ、と。
今回の文庫化で、「もう少し分かりやすく」と考えて書き直したそうだ。
その「分かりやすく書き直した文庫」を初めて読んだせいなのか、わたしは、伊坂さんらしく、面白い小説だと思った。
伊坂さんらしい、比喩の言葉がとてもきれいで、わたしは、そのセンスの良さが大好きだ。
0歳、3歳、10歳、12歳、13歳、14歳、15歳、17歳、18歳、21歳、22歳、23歳。
それらの年齢の主人公・王求の様子が描かれている小説だ。
通常、小説は「私」の視点で書かれる一人称か、第三者の視点で書かれる三人称が多いと思う。
この「あるキング」では、それぞれの年齢の章によって、その「人称」が違うのだ。
しかも、「おまえ」に語りかけるという、小説ではめずらしい二人称もある。
わたしは、この二人称の章に引き込まれた。
王求を「おまえ」と呼ぶ、この人物は誰なんだろう・・・と思いながら読み進めた。
「10歳」の章に、王求の小学校の同級生が「僕」として語っている。
その「僕」は、図書館で借りた「キュリー夫人」の伝記を読んでいた。
そして、それを読んで不思議に思ったことがあった。
キュリー夫人の子供のころの話が載っており、
そこには、キュリー夫人が何を思ったかが書いてあった。
キュリー夫人が偉くなったのは、大人になってからなのに、
どうして子供の時の彼女の心情が克明に描かれているのか。それが不思議でならなかった
p51より
この件を読んで思った。
この「あるキング」は、王求の伝記のようだな、と。
王求は、王様ではない。
「でも、野球のうまい奴なら王様はいる」と、服部勘太郎が言っている。
P193より
そう、ホームラン王だとか、打点王だとか、そういう王がいる。
王求は、そういう意味での王様なのかもしれない。
「あるキング」・・・・・やっぱり、王求は王様だろう。
王様だから偉人だ。だから伝記を読みたい人も多くいるはず。
そのために書かれた。
この小説はそういうとらえ方でいいのかな。
旧「紙飛行機文庫」に書いた「あるキング」の感想はこちらです。
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単行本 <あるキング>
出版社 徳間書店
発売日 2009年08月26日
文庫本 <あるキング>
出版社 徳間文庫
発売日 2012年08月03日
文庫本 <あるキング:完全版>
出版社 新潮文庫
発売日 2015年05月01日